個展小咄

【個展小咄】

築地での展示も折り返しを迎え、少し作品に関することを記しておきます。ご興味あればご一読ください。

書家としての活動の中で、書作品・抽象画の制作、ロゴや題字を揮毫するクライアントワーク、イベントでの席上揮毫(ライブペイント)等をおこなっていますが、毎回必ず自分の中に明確なテーマを掲げる事を念頭に制作や展示を行なっています。

今回の個展は【生活に寄り添う書】である事。

会場がうおがし銘茶さんである事もあり、心を込めて淹れてもらったお茶の一服が心にもたらす作用を作品と共に感じて貰えたら、、との思いから、日々の生活の中でふと目にした時に背中を押してくれたり、ほっとするような言葉を選択し、気負う事無く呼吸するように書く事に重きを置いて制作しました。長年触れて来た書道の古典や理論、師風に寄りかかる事無く、筆が・身体が・呼吸が・心が・自然な状態で、筆の運びは重力に委ね、良い意味で「いいかげん」に書いたものです。

この「重力に委ねて書く」こと「いいかげんに書く」ことの2点は書に触れて約41年(今42歳ですが、、)を経てやっと掴めたと自負しています。

現在の日本、特に都心での床の間も和室も無いマンション生活において、渡来系氏族らがもたらした大陸文化の延長のような黒々とした良くも悪くも重みのある書は時代錯誤も甚だしく、私自身が飾りたい、眺めたいとは思わない為、それらを一旦解体し、本質的な書の素晴らしさは残しながら再生する事につとめてきました。そこを打破したいとの思いから、墨色は淡く薄く磨ったものを用い、額装も細身のシンプルなものを用いました。とはいえあまりにもシンプルを追求すると書作品制作において最も大切にしてる『気韻生動』(生き生きとした生命感や迫力があり、情趣にあふれていること)が薄れ、チープなものに陥ってしまう為、淡墨、細身でありながら大きなエネルギーを内包した生命力と趣きのある書を心がけ、フレームは墨や和紙と相性の良い細身の金や銀を用いています。

明治の初めにおきた岡倉天心らによる『書は美術ならず』論争から現在に至る迄、書は美術なのか、現代アート足り得るのか、はたまたファインアートであるのかと様々な書家、作家が議論を重ねる中、ここに関しては私なりの思いもありますがここでは割愛しますが、今回の展示作品(新作29点)に関してだけ言えば、私自身は一つもアートであるとは思っていません。文字を題材とし崩し方の決まり事にのっとって書かれた書はどこまでいっても書でしかないと思っています。第3者がそれを現代アートだファインアートだ、芸術だとそれぞれのカテゴリーに載せて鑑賞するのは自由であるし賛成です。墨象(抽象書道)であれば作家自身がここを意識する事は賛成ですが、殊更文字を書く、言葉を書く、漢詩を書く書家がそれを意識した瞬間書の純粋性は薄れその人のもつ良い所は消え、観るものに不快感を与える負のエネルギーが表出したものしか産まれなくなってしまいます。

薄い技術をひけらかすもの、自分を過剰に大きくみせるもの、上手く書くことに囚われすぎて良い所まで死んでしまっているものが横行し、書の純粋性が忘れ去られてしまう事はとっても寂しいので私自身この先もそこを追求し、書家はもちろん書を嗜んでいない皆様にも進歩、発展に繋がるきっかけを発信していく使命と喜びを感じての展示となります。

長くなってしまいましたが、そんな42歳の呟きも踏まえて展示を見ていただけたらより一歩楽しんで観てもらえるのではないかとの期待を込めてここに記します。

11日まで開催しておりますのでもしどこかでお時間あれば是非是非お越し下さい。

2020.1.8 中澤希水

*画像作品は2階に展示中

【忘己利他】(もうこりた)

・意味

「己を忘れて他を利するは、慈悲の究極なり」

最澄の言葉であり、延暦寺でお世話になった天台宗は毘沙門堂のご門主、叡南覚範大僧正から頂いた大切な言葉です。